2015-07-09 第189回国会 参議院 経済産業委員会 第23号
○国務大臣(宮沢洋一君) まず、独立行政法人という制度からお答えした方がいいと思っておりますけれども、独立行政法人というのは二〇〇一年から動き始めましたけれども、イギリスのたしかサッチャー改革だったと思いますけれども、エージェンシーというものができて、非効率だったイギリスの政府がかなり効率的に運営されるようになってきたというようなことを参考にして、日本においても、政府がやる仕事だけれども、やはり運営
○国務大臣(宮沢洋一君) まず、独立行政法人という制度からお答えした方がいいと思っておりますけれども、独立行政法人というのは二〇〇一年から動き始めましたけれども、イギリスのたしかサッチャー改革だったと思いますけれども、エージェンシーというものができて、非効率だったイギリスの政府がかなり効率的に運営されるようになってきたというようなことを参考にして、日本においても、政府がやる仕事だけれども、やはり運営
イギリスに派遣をしてサッチャー改革の実態を研究させたのでありますが、現文科大臣の下村博文大臣もその一人でございました。 サッチャー政権では、国によるカリキュラムの策定や全国学力調査の導入、学校監査制度による学校評価の充実といった施策を通じて教育水準の向上を目指す教育改革を行ったわけでありまして、大きな成果を上げたのは間違いないんだろうと、このように思います。
そして、イギリスの事例については、笠委員等とこれは超党派で、サッチャー改革に学ぶイギリス教育改革という本も共著で出したぐらい、視察に行って学んだことがありますが、それぞれの国がそれぞれの教育改革について日々見直しをしながらよりよいものを目指しているということについては、我が国も、特にこういう時代の大きな転換期の中で、教育については積極的に取り組んでいく必要が国としてもあるというふうに思いますし、今、
笠委員がお話しされていたことで、一緒にイギリスにサッチャー教育改革について視察に行ったということを笠委員がおっしゃっていましたが、そのとき私が行ってびっくりしたのが、我が国の歴史教科書はよく自虐史観だというふうに言われますが、これは敗戦国に特徴のあることだなというふうに思っていたんですけれども、イギリスに行きましたら、戦勝国であるイギリスもそれまでの歴史教科書はそういう認識を持っていて、つまり、サッチャー改革
七、八年ほど前、サッチャー改革に学ぶ英国の教育改革ということで、超党派の議員で行ってまいりました。そのときに驚いたのは、戦勝国のイギリスにも当時、自虐史観の歴史教育があったということで、サッチャー首相がこの自虐史観を変えて、歴史には影の部分だけでなく光の部分もある、子供たちに自分の国に対して自信と誇りを持った歴史教育をきちっと教えなければならないと。
○下村国務大臣 イギリスのサッチャー改革、教育改革については、大変に参考になる部分があると思って、視察に行ったことがございます。
○下村国務大臣 私も、イギリス、サッチャー教育改革について特に学ぶべきものがあるというふうに考えまして、それを「サッチャー改革に学ぶ教育正常化への道」という、共著ですが、PHPから出版をいたしました。その中で、「国家戦略としての教育」ということで、視察に行ったことを我が国で参考にできる部分があるのではないかということで著書にも書いたところでございます。
このサッチャー改革では、基礎学力は実は向上いたしませんでした。しかも、教育機会の格差というのが拡大をいたしまして、放校、退学処分者が続出して、彼らによる犯罪も増加したわけです。
シンガポールの例を出されましたが、私も、サッチャー改革に教育を学ぶということでイギリスに行ったときに、サッチャーさんが一番参考にしたのは日本の教育改革、制度でありまして、一九八〇年ぐらいまでの日本の教育改革、教育制度というのは大変うまくいっていた。それは、当時の高度経済成長を支える人材育成、近代工業化社会を支える人材育成。
サッチャーが、国営企業の民営化であるとか地方財政の改革であるとか、こういったサッチャー改革を実現できたのは、実はこのポリシーユニット、まさに国家戦略スタッフということでありますけれども、官邸にあるポリシーユニットが見事に機能をして、各省と連携をして改革ができたんだろうというふうに思います。
これに加えて、教育再生会議は、児童生徒が多く集まる学校など特色の発揮な積極的に取組をする学校に地域の実態や実績等に応じた予算を配分するというようなことは出ておりますけれども、これはイギリスのサッチャー改革だとか、あれも全面的に成功したわけじゃなくていろいろな問題もあった。
サッチャー改革は、御存じのように一九八〇年代に始まりました。ちょうど日本では臨教審の改革が始まったところでありますし、アメリカではレーガン政権のもとで改革が始まった。同じ時期に改革が進んだわけですが、サッチャー改革の非常に大きな特徴は、制度改革、しかも非常にラジカルな制度改革を行ったという点です。
「家族政策の各国比較」の右の端には、実は、各先進国が迷いながら、戸惑いながら、例えばイギリスのように、伝統的な家族政策は家族のあり方に基本的に不介入であったが、ブレア政権は、貧困がサッチャー改革の結果進み、その貧困に対しても、家庭の貧困に手当てするということを通じて、保育、経済支援の充実へと向かったこと。
サッチャー改革の下で一斉学力テストが実施をされまして、学校選択制と、非常に競争が激しくなった。そのころからいじめ問題というものが認識をされまして、今、市民団体の調査によりますと、高校生まで児童生徒七百万人のうちいじめられたことがある子供というのは六九%、それからいじめで学校を欠席した経験がある人も四二%いたというのがイギリスの調査で発表をされております。
だから、サッチャー改革をなぞるような改革をするということは政府としては考えていないんじゃないでしょうか。 ただ、その中でいいものがあれば、もちろん国民のために喜んで取り入れるということだと思います。
大変有意義な話をたくさん聞いてきましたが、その中で非常に印象に残ったのは、イギリスの教育行政、公教育の研究をされている大学の先生が、日本ではサッチャー改革が大変誤解されていると、あれは失敗なんだということをおっしゃっておりましたし、また今注目を浴びておりますフィンランドの教育を専門に研究されている方はフィンランドの教育事情、いろいろお話ししていただきました。
○伊吹国務大臣 もちろん、英国だけを見る必要はありませんし、サッチャー改革そのものをなぞっているわけでもございません。日本は日本の今までの積み上げの中から変えざるを得ないものを御提案しているわけです。
安倍総理が、サッチャー改革を原点にすると。しかし、この教育改革、きっかけをつくったのはサッチャー政権であるけれども、ブレア政権によって花開いていくということを、私ども民主党がかわっていずれこの教育政策をしっかりと花開かせるということをお約束いたしまして、私の質問を終わらせていただきたいと思います。
例えば、イギリスの場合にはサッチャー改革、一九八八年に完成したサッチャー改革ですが、それを受け継いだ、サッチャーとしては保守党でしたけれども、労働党のブレア内閣が、ことしになって一月十日にレスペクト政策というものを打ち出しています。そして、そのレスペクトの精神でやっていくことを国民に訴えています。
そういった事例も含め、またイギリスがやりましたサッチャー改革におきましては、これ若干、この市場化テストでコストの方を重視したがために若干失敗例が出ておりますが、我々の場合にはこれをサービスのその質の方にウエートを置いておりますから、そういうことは防げるんじゃないかと思っております。
イギリスのサッチャー改革、十八年かかりました。ニュージーランドの改革も十年以上かかっております。小泉総理はまだ、やったといっても、たった五年です。あと少なくとも五年、とにかく十年以上やらなかったら、とてもとてもできません。 もう時間がないからお答えは要りませんが、これは民主党政権でやるということを宣言して、私の質問を終わります。
サッチャーさんがサッチャー改革をやったときにもかなり批判的なそういう番組もつくったし、また、現在のブレアさんでも、かなりBBCは意識して、また嫌がっているところもある。やはりそこに国民の信頼性というものがつくられてきていると私は思うんです。
どういうことかということですが、金融ですけれども、これもある意味ではサッチャー改革を反面教師としての発想ですが、このサッチャー改革によって地域が壊滅的な打撃を受けたことの一番大きな要因は、地域金融機関というものがほとんど存在しない状態をサッチャー改革の下の金融ビッグバンというものがつくり出してしまったというところがございます。
あとは、ローカル化とアジア化ということとの、このローカル化をベースにしてアジア化を進めるというこの関係が非常に重要だということは、実は、かのサッチャー改革というのがありますけれども、このサッチャー改革をじっくり見てみると非常にその辺がはっきりと見えてくるというところがございます。